当日の記録

leaf 連帯のあいさつ(要旨)

(ノーベル賞作家・大江健三郎)

私は、この郡山で開かれたいくつかの集会に出していただくことができました。そこで、そこに座っていらっしゃる武藤類子さんとか、存じ上げています。そして、1回目の集会(開成山球場)の6日後に、私はフランスで開催された催しの中で、集会のときに話を伺った、この福島の方たちのお話を具体的にいたしました。フランスは原発を持っている国です。しかも、ちょうど大統領選挙でもあり、選挙に当選した大統領が日本にやってきて、安倍首相と原発の世界輸出、ヨーロッパ輸出、その技術の輸出というようなことを話しているようなところのある国であります。でも、私の話を聞いてくださったフランスの、特に、40代から50代の女性たちは、すごく熱心に聞いてくださいました。そして、司会者が、それでも原発がなければ豊かな日本人の生活はないんじゃないのということを言いますと、一斉にその女性たちが、反論するということがありました。そういうことをして、できる限り福島でお話を伺ったことを、外国の人たちに知らせたい、つなぎたいというのが私の気持ちです。今日もここで、お話を伺って帰ります。

私は思い出すことがあります。それは、戦争が終わった時、今から70年近く前ですが、一人の映画監督、伊丹万作という人です。常にいい映画を作っていた人ですが、彼が病気で、もう5年間も寝ておりました。その伊丹監督が、戦争が終わってすぐ、こういうことを話したというんです。その戦争が終わった翌年、伊丹さんは亡くなりましたので、それは遺言のようなものです。当時、8歳だった女の子がいて、そのお父さんが、死ぬ前に話していたことを、地震と、原発の大事故があった今、あの事故があって、3年たつ今、子どものときに、聞いた話を思い出し、私に話してくれました。その伊丹万作の娘というのが、私の家内であります。

「戦争が終わった、戦争に敗れた、兵士が亡くなって、ああいう原爆の大きい攻撃があって、人間が苦しんだ。ところが戦争が終わると、自分たちは騙されていたと、いろんな人たちが言い始めた。たとえば作家も言う、政治家も言う、実業家も言う。あの戦争が非常に悲惨なことになったけれども、自分は騙されていたんだと。そういう人たちが多くなった。」
と言うわけです。伊丹さんは、そして、こう結論を言ってるんです。

「騙されていた、という便利な後悔におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易さ、安易極まる態度を見るとき、私は、日本国民の将来に対して、暗澹たる不安を感じざるを得ない。」
伊丹さんは戦争が終わった年に、こういうことを子どもたちに言っていたのです。

私たちは自分も含めてですね、この原発の事故が起こるまで、それがどんなに恐ろしいかということを、よく知らなかった。というより、よく知ろうとしなかったんじゃないかと思うんです。それはあなたも、その責任はあると思うと彼女は言うんです。そしてですね、今、自分たちは、原発は安全だと、原発は必要だという話に、騙されているんじゃないか。あの事故が起こるまでは自分たちは安全だと思っていた。そして、事故が起こると、しかも事故が起こってすぐは、非常に大きい強い反省が起こった。本当に日本中の人たちが反省したと言っていいと思います。それから、いろいろな場所で、こういう集会が開かれると、本当にまじめな、すばらしい人たちがやって来られて、自分たちはあまり知らなかったと、東電が言うことや、政府の言うことに騙されていたと言います。それを知らなかった今、もう一度事故が起こらないようにしなければならないという強い強い意志、そういう強い強い感情が満ち溢れています。たとえば世論調査等、90%くらいの人が原発を廃止するということに賛成していた。

ところが、今はですね、もう一度騙されようと日本人はしているんじゃないかと思うんです。現に東電が原発の後始末は全部終わった、これからこういう風に事故は起こらない、日本の原発における安全な技術というのは世界に冠たるもので、外国に輸出してもいいぐらいだと言う。現に、安倍首相は、原発の輸出や再稼働を確実に進めていこうとしている。原発についての国民の意思というのを完全に無視してそれを進めていくということは、憲法に違反しているんじゃないかと言っていく必要があります。たとえば、九条の平和条項に反する、憲法で認めている人権についての憲法にも違反すると。こういう問題こそ、まず議会で問題にし、国民投票を行って、原発を、もう一度やり直そうかということは決めなきゃいけない。戦後、私たちがつかんだと思っていた、民主主義というものをどんどん踏みにじって、最後には、自分がつくった委員会が決めた案を、内閣が議決して、内閣が決め、それからそれを国会に諮るというような形で行おうとしている、今、電力会社が、政府が、そして政治家が、もう一度、原発は安全なんだ、大きい津波を防ぐんだ、そして、これ以上すぐれた原発の技術を持った国は他にないんだ、ということを説明、言い始めています。それから、今現に起こっている原発の汚染水については、現に起こっていることを、毎日、新聞が報道してるのにもかかわらず、それを問題にしない。それはですね、戦争中に国が行った、人を騙しておくと、日本人を騙すっていうことをまた行うことなんです。
現に原発事故で苦しんでいる人がいる、別の場所に移って苦しい生活をしている、そういう子どもたちも含めて、多くの人たちが、原発は絶対に安全だということを言わない、言えないということは、すでに知っているわけです。

しかし、こういう原発の問題についての情報を知っているのに、原発を再稼働しようという動きが、言葉の上でも、政府の人たちや実業家の人たちの行動の上にも、本当に今始まっています。今、その中心にいるのが安倍首相であるわけなんです。我々が戦後、勝ち取った民主主義という、一番大切なものが、今も、残っています。現に福島で起こっている本当の運動が全日本に広がるように、そして、世界に広がっていくようにやっていく民主主義の基盤はあるわけです。

ところが、今ですね、原発がもっとも危険なものになっていて、その危険というものを、人間は克服することはできないんだという、一番根本的なこと、一番本質的なことを、私たちは言わなくなっているじゃないでしょうか。

私たちは、悲惨な目にあった戦争に、原爆によって多くの人たちが死ぬというような、ああいうふうなところに行くはずはないと、日本人は信じていた。そして、戦争が終わると、それを本当に自分たちの問題として反省することはなしに、自分たちが騙されていたんだと言う。そして、騙した奴が悪い、しかし、騙された自分たちというものを反省しないというのが、日本人じゃないかと、伊丹さんは言っているんです。

原発を再稼働させても、恐ろしいことは起こらないという宣伝は、すべて、あの戦争中にこの戦争は悲惨なことにならないと言った、あの日本人が日本人を騙したということとまったく同じです。そして、それは嘘だということを知りながら、日本人は薄々知りながら、戦争中、それを信じていた。それと同じように私たちは今、原発は安全だとか、原発がなければ日本人の繁栄はないとか、国際競争にも負けるというふうな言い方が流行して、それに反発する議会の国会議員の活動もなしに、内閣の議決があり、再稼働が大きく進もうとしている。戦争が終わったとき、もちろん、広島で長崎で人々は苦しんでいるんです。次に原発が事故を起こせば、大きい事故を起こせば、我々が生き延びることはできない。少なくとも次の世代に、安全に生きていく社会を、環境を残すことができないということは、はっきりしている。これは、ごまかすことができない事実です。

しかし、それでありながら、原発は安全なんだ、それがなければわれわれの生活はないんだという宣伝にですね、今、騙されようとしてるんじゃないか。それはむしろ、自分たちが騙されることを望んで、それに従おうとしてるんじゃないか。そういうものに、私たちは根本的に反対しなくてはいけない。根本的に必要なことは、次の子どもたちが生きていける世界というものを残すこと、環境を残すことであります。

原発の、怪しい、そして、その怪しさの証拠を知っている問題を、私たちが信じたふりをする、騙されたふりをする。そして、真に騙されてしまえば、未来はない。

今から70年も前に、一人の人物が、こういう騙されやすい、騙されたこと、騙されたことの責任をとらない日本人というものの未来を憂いていると言って死んだ。その言葉を、私は忘れることはできない。

それに対して、どのような抵抗するかというと、現にここにいる、この福島にいる、その福島の経験と、これだけ大きい集会を開き、そして、それをずっと続けていこうとしている、そして原発の再稼働を許さないということを、根本的な条件として進めようとしておられる福島の方々に学ぶことです。原発は人間と共生することはできない、そして、それを確実に最初にこの福島から原発を廃絶する、その知識と、勇気と、経験を持っているのが、この福島の人を中心とした日本人だということを、私たちは確認しなくてはいけない。世界に、それを広げ続けていかなくてならないと私は考えています。みなさんのご健闘を祈ります。

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