当日の記録

leaf 福島からの訴え(3)

(有機農家・喜多方市)

福島県有機農業ネットワークに所属しています。私どもの会津では、事故後も種をまき、刈り取り、食べていただくということを続けさせていただいておりますが、今日メッセージをお伝えさせていただきます原発から20㎞内外の農家の方は、種をまいても、秋には、それは、産業廃棄物として焼却処分をされてしまうという、そういう苦悩の中で、日々、地域の再生に向けて格闘されております。今日は、その南相馬市で日々再生に向けて活動しております、有機農家の仲間からのメッセージを伝えさせていただきます。

福島第一原発事故汚染地からの訴え。

千年に一度と言われる地震と津波から、その予想をはるかに超えた自然の驚異は、時として私たちの生活環境と多くの命をことごとく一瞬にして飲み込んでしまいました。そして、あとに残された無残な光景を見るとき、ただ、呆然と立ち尽くすだけで、言葉にも表せない時が今も深く記憶に映ります。

福島の浜通り地区は、1年を通して、気候にも自然環境にも恵まれ、阿武隈高地から太平洋に向かって開ける豊かな田園風景は、私たちの地域生活の営みの上で、いつも優しく見守ってくれるかけがえのない貴重な生活環境の場でした。そして、延々と今に伝える多くの文化遺産も受け継がれ、地域住民の心のよりどころとしても大切に守り続けられてきました。

今、東日本大震災、福島第一原子力発電所の爆発事故から3年の時間(とき)が経ちました。あの放射能の恐ろしい思いを抱きつつも、実際の対処法は何一つ及ばず、ただ途方もなく逃げ惑うだけの混乱の場面が、各所に発生した現実がありました。濃い濃度の放射性物質が流れる方向にあたることも知らされず、ただ情報を待ち続ける人々は、結果として非常に高い放射能汚染の犠牲者となりました。とても腹立たしく、悔しい思いがこみ上げてきます。当時の混乱のさなか、放射能に詳しい知識を持つ特定の立場の人が、放射能に対する危険性をかき消すと思われる言動は、とても信じがたく許される出来事ではないと思います。私たちは、自由と民主的に開かれた社会とはかけ離れた現実を経験し、これからのこの社会のありように、非常に強い危機感を感じずにはいられません。また、当初、立ち入り制限区域に指定された地域の人々は、地震、津波による家族犠牲者の捜索等に駆けつけることすら許されず、毎日、つらい日々の時間が、ただ過ぎ去っていくのみの心情を思うとき、言葉に表せない思いをしました。

過去にさかのぼれば、科学の粋を駆使し、原子力の平和的利用として、恒久的、安定的に、そのエネルギー供給を安全神話のもとに、社会発展に結びつけてきたのも事実でした。しかし、はかり知れない自然の驚異にさらされた現実を見るとき、今、私たちの身のまわりにおける社会のあり方を、いち早く振り返ってみる機会としての警鐘に思えてなりません。
放射能は人間の健康はもちろん、家族の絆、自然の環境、そして、はるか昔から積み上げられてきた地域社会、文化の領域までも、ことごとく切り刻んでしまいました。被災3年目の20㎞圏内外の地域環境は、今も悲惨な状況が続き、地域の生活基盤の糸口も見えてきません。中でも、日常生活に直結する水の問題は、高汚染地に水田を託す太田川流域の私どもには、水稲を中心としての生命維持の営みが震災以前とは全く異なり、放射能汚染問題と今後長期にわたって向き合っていくことになります。また、地域を担う若い家族は、地元を離れて、新たな生活についているという話を多く聞きます。しかし、子どもたちの健康を思うとき、こうした行動は、当然とられる対処法です。

このような崩壊した地域社会の維持再生は、今後多くの困難が予想されます。しかし、これからの復興、再生は、この困難な現実を多くの人々と共有し、この地に息づく自然の営みに目を向けながら、長い時間との向き合いを見据えて、子や孫、そして、代々につながる取り組みに希望を託し、体力の許す限り、歩んでいく覚悟です。

南相馬市原町区有機農家。

以上です。

本来ですと、彼がこの場でみなさんにメッセージをお伝えしていただきたいところですけども、今年の太田地区というところの農の再生というのは、まったくめどが立っていないんですね。昨年、試験田ということで、100ヘクタール・・・という記憶があるんですけども・・・取り組んだんですけれども、どうも水に原因があるんじゃないかと言われるんですけどもね、高濃度の、100ベクレル超えのコメが何袋か出てしまったんです。それで、地域の方はほんとに愕然としてしまって、今年、南相馬市では、営農再開ということで、水田も作付ということで決めたんですけども、地域の方は、こういう状況だったら今年やっても意味がないんじゃないかということで、どんどん営農意欲が下がっています。このままですと、彼がメッセージンに書いてあるような浜通りの阿武隈高地から、そして海までの素晴らしい農地というのは、本当に、崩壊してしまうと思うんです。

今後も、どうぞみなさん、見守り続けていただきたいと思います。どうぞ、よろしくお願いたします。

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